海部陽介の新刊 「日本人はどこから来たのか?」 その3

旧石器時代から人はサルを食べていた。

海部氏ではない他の人の本で、

「サルは人間に近いから情が移って食べにくいからか、サルを食べない人達の遺跡の方が多い。

しかし、縄文人はサルを食べていた。しかも子ザルまでも食べていた。」

と言う内容の本を読んだ。

この感性には違和感があった。

サルが人間に近い?確かにそうだけれどそれはそのように学校で教わったからだろ、当時の人がサルをイノシシやウサギと「情が移る」様な意味合いで区別したのだろうか?それはないだろう、と思っていた。

また、縄文人はその動物を絶滅させないために、子供が捕れてもリリースした、と言うようなことが書かれていたがこれも信じられなかったので、縄文人は子ザルも食べていた、という内容に納得して、それ以上勘ぐることなく、且つ、違和感もなく読み進んだ記憶がある。

しかし、サルには情が移る、と言うような証明しようのないことに海部氏は全く感知せず、サルを食べると言うことは、樹上に逃げ込むサルを捕獲する術を当時に人は持っていた。すごいことだ、と書いている。

確かに、サルを食べたかどうかは、情が移るかどうかではなく、樹上のサルを捕獲する術を持っていたかどうかと言うことだ。

こういった視点が海部さんの説得力のある文に繋がっている。

逆に、感情論で行くから藤村の石器捏造事件を『学会』として起こしていくことになっていると思う。感情や欲望が先立つ大胆な仮説を立てて楽しんでいるのではなく、じっくりと科学の視線で追い続けて欲しいものだ。

猿を捕獲する術、で思い出したけれど、確か、縄文人の遺跡からは「空を飛ぶ鳥」を食べていた、という内容は読んだ記憶がないような・・・

樹上のサルまでは捕まえることが出来たかも知れないが、空飛ぶ鳥までもは捕獲出来なかった、と言うことだろうか?

 

追記 : 2016.03.09

縄文人は鳥を食べていた。

本を読んだ時には、縄文人が鳥を食べていた記憶は無かったがネットで調べたらしっかり食べていたようです。

群馬県桐生市、千網谷戸遺跡(チアミガイト遺跡)からは、キジ・ヤマドリが、

鹿児島県上野原縄文の森 黒川洞穴からは、キジ・ガン・カモ・ハト・ワシタカ目が食べられていたそうです。

他の遺跡は調べていません、でも普通にどの地域の縄文人も鳥を食べていたのでしょう。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です