『登頂「笠ケ岳」は別の山 近代登山の父・ウェストン』 の記事

岐阜新聞の Web版の2016年10月30日に上記記事が出ていた。

ウォルター・ウェストン。
明治時代に日本に3度長期滞在して多くの山に登り、「日本近代登山の父」と呼ばれる英国人宣教師。
甲斐の鳳凰三山の地蔵岳オベリスクに初登頂したのは有名だ。
その彼の著「日本アルプス」で、笠ケ岳登山について詳しく書かれているそうだが、その内容通りだと「笠ヶ岳」ではなく「抜戸岳(ヌケド岳)」に登ったらしい。
山頂の描写からもそこは笠ヶ岳ではない、と地元の山ヤ=木下喜代男さんが検証された、と言う記事。
ウェストンは笠ヶ岳に登るために地元の猟師に山の案内を請うていたが2年続けて断られていて3度目の1894年にやっと案内してもらえて”偽り”の笠ヶ岳に登ったらしい。
木下さんは、地元の猟師が「笠ケ岳は頂上に阿弥陀如来を祭る聖なる山で、異教徒を登らせるわけにはいかない」と、わざと笠ヶ岳とは違う抜戸へ案内したんだろう、との見解だ。

なんか気持ちの良い話しだ。

私は、別段ウェストンに何か悪い感情を持っているわけではない。
そもそもウェストンは、オベリスクのテッペンに初めて登ったと言うことと上高地に胸像があるぐらいしか知らない。

だけどこの記事はすがすがしい。

多分、ヤマレコ等で高尾山や丹沢で「バリルート(バリエーション・ルート)」と言われると非常に不快な気持ちになる。その裏返しなんだろうと思う。
この人達は、単に登山のガイド本や登山地図に登山道として乗っていない径をバリルートと呼んでいるだけなのだ。
そこは登山道ではないかも知れないが、バリエーションでも何でもない、杣人が植林作業で歩き込んだれっきとした「径」だ。

登山者なんてその力はたかが知れている。

山ではやっぱり猟師や杣人の経験と知識が素晴らしい。

 

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