山で重要な装備 2点

昨日、良いレインウェアを手に入れた、というブログを書いてふと気が付いた。

山で最も重要な装備って何? について今まで一度も書いたことが無いような・・

なので書いておこう。

山に入るなら絶対に持っていかなければならない装備、2点、それは

雨具と懐中電灯

山を歩いていて体温が上がり汗をかいた状態のところにザーッと雨に降られると一気に体温が奪われる。体温低下は動けなくなるだけでなく脳の思考も停止する気がする。非常に危険な状態になる。雨に打たれてはならない。

上下セパレートのレインウェアが一番いいが、登山を始めたころは高額すぎるので傘でも百均のポンチョでもよい、必ず持参する必要がある。ただ 傘 だと例え丹沢でも主尾根を歩いているときなら風が伴う雨になるのであまり役に立たない。傘だと岩陰とかに隠れて風を避け雨が止むのを待つしかない。

懐中電灯、想定以上に時間がかかって山径で日没を迎えてしまうといくら体力が残っていても一歩も歩けない。樹林帯の暗がりはホントに暗い。何も見えない。

出来ればヘッドランプが良いが、山をやり始めた初期にはヘッドランプは高額に感じる。家にある懐中電灯でよい。ただし、出発前に一度点灯してみて電池が切れたり弱っていないか確認は必須だ。

時としてスマホのライトで歩いている人がいるが、あれは絶対やめるべきだ。スマホのバッテリはいよいよ最後で警察や消防に連絡したり家族に連絡するために温存すべきで足元を照らすためにバッテリを消耗すべきではない。

ちなみに私はどんな日帰りの山でも(たとえ丹沢の山であっても)ヘッドランプ、それも50m先を照らせる強力なものを持って入山するし、予備のヘッドランプも持っている。さらに、替えの電池も持っている。その電池の交換作業は暗闇の中ではできないので小指大の百均ライトも持っている(これらはすべて苦い経験からきている)。径の無いルートを下山するときで、もしかしたら日没に間に合わないかもしれないと思われるときは100m先を照らせる懐中電灯も持っていく用心深さだ。

もう一言付け加えさせてもらうと、ヘッドランプや小指大の百均ライトは暗闇の中でも手探りですぐにザック出せるよう習慣づけている。

といった感じで、山に入るなら絶対必要な装備として 雨具と電灯 は持っていきましょう。

そしてその 雨具も電灯 も使うことなく下山するよう心がけましょう。

 

 

角幡唯介 は 氷瀑登攀を好む

『アイスクライミングの醍醐味は、探検のそれとかなり近い。どんな氷瀑や氷壁が待ちかまえているのか、その期待感が気分を高揚させる。』
と、氷登り山行が面白いと書いている。
角幡唯介 は、できることならまだ誰も行ったことが無いところを登りたいと思っているようだけれど、残念ながら、彼が生まれたころには、日本中の尾根も、谷も、岩壁も瀑布もすべて登り終わっているのでそれは叶わぬ夢になっている。

水平に流れる谷の水は真冬でも凍らないけれど、垂直に落ちる滝は凍り付く。
そんな氷の下は流水が流れ落ちている滝はもうとうの昔に登りつくされている。
ところが夏場、雨後にのみ滝がかかるという水量の少ないところにも真冬は氷の滝が現れる。
そういうところはもう 滝 と言うより 氷柱 だ。
そんなエクストリームな氷柱登りが一般化したのは比較的最近だ。
なので古い記録を探しても出てこない可能性も高く、そこに 未踏かも と興奮する気持ちはよくわかる。

雪山へ行く道具で重要なのが ピッケル。
片手で振り回すツルハシみたいな道具を一本持って行っていた。
このピッケルの形がどんどん変わって行って、今じゃ、カマキリの鎌そのものの形をしている。
それをカマキリよろしく両手に持って、そう2本持って氷柱を登っていく。
こんな形にピッケルが姿を変えてしまったのは、最近。10年ほどだろうか?
この形の変わったピッケルは、もう何十年も前に名前を「アックス」と呼ぶようになった。

大理石のように、カチンコチンでツルツルの氷柱に、両手にアックス、両足には爪先から鋭く飛び出した爪を更にヤスリで磨きあげたアイゼンを履いて垂直の氷を登っていく。
こういう氷登り、即ち、アイスクライミングに 角幡唯介 は面白さを感じているらしい。

『クライマーは、アックス振ることで氷の固さ、柔らかさ、粘土や強度を感じとり、その登攀の困難度を予測しながら、あるいは恐怖にすくみながら登る。つまりアックスを握ることで、人ははじめて氷壁と一体化できる。』
と言い、さらに
『つまりアックスのような良質な道具には、身体の一部となって、それがなかったときには知覚できなかった人間と地球との新たな接点を生み出すという、もう一つの世界創出の効果があるようにも思えてくるのだ。』
と、ベタ褒めだ。

この感触は私にもよくわかる。
私だって、4種類のピッケルを持っていて使い分けて雪の山に入っているし、
3種類の氷用のハンマーを持っている上に、
3種類のアイゼンを履き分けてもいる。
そして何十年のも前に八ヶ岳や奥秩父に氷を求めて入っていた。
でも、止めた。
今でも、雪の尾根を登り詰めて行って、氷結した岩場に出くわすことがある。
そんなところでは「エッ、氷かよ~っ」とより慎重になって登っていく。
別に、氷をこなす登山技術が無いわけではない。
ではなぜ氷瀑登攀を止めたか?
私は、上達しないのが分かっていたからだ。
何故上達しない?
それは、私は、腕力そして握力が非常に弱い。
この力が弱かったら、氷瀑登攀のみならず、ボルダリング、フリークライム、そして、昔の人口登攀は全く上達しない。
余談になるが、握力のある人は、ボルダリングやフリークライムをされると良い。
すぐに一定レベルまで上達する。間違いない。

氷瀑登攀。
両手のアックスの先っぽと両足のアイゼンのつま先だけが、僅かに氷に食い込んで登っていく。
角幡唯介 の言う『身体の一部となって、それがなかったときには知覚できなかった人間と地球との新たな接点』
この感触。実は、私はこれが嫌いだ。
自分の体で登っている、と言う感触に欠けるのだ。
昔で言う「人口登攀」みたいな感じなのだ。
人口登攀とは、自分の靴では登れないので3段ぐらいの縄梯子をかけ替えながら岩を登っていく。
そう、自分が登っているのは 梯子 であって 岩 ではない。
足場が無くって、縄梯子。やむを得ないと分かっているので、全面的にイヤなわけではない。
ただ、縄梯子を架け替え架け替え登っていく。
その感触はイヤなのだ。
氷瀑登攀もそれだ。
結局、道具に頼りすぎ、とか、道具次第、とかになってきてしまう気がするのだ。

ただ、エクストリームな氷柱登り。
余りの難度の高さにアドレナリンが出まくっている。
角幡唯介 が『その登攀の困難度を予測しながら、あるいは恐怖にすくみながら登る。』
この世界に 「生」 を感じ、次から次へと登りたがる気持ちはよくわかる。
でも、直接 「生」 を感じることはできない。
すぐそこに死を知覚するから 「生」 を感じられるのだ。

そんな危険なアイスクライミング、どうか、今後も無事に続けて欲しい。

 

角幡唯介 の 自転車論を さぁ全否定しよう

と、書こうと思ったけれど、止めた。

彼は、自転車に乗る。その目で今の道路事情を見ると走りづらくって何とかしろと言う。
私は、自転車には乗らず、車か歩き。どちらの目で見ても、自転車は邪魔で仕方がない。
こんな両極端の二人の意見の違いを書いても何の意味もないので止める。

次回、アイスクライミングについて書いてみる。

角幡唯介 の 自転車論を全否定する

まずお断りしたいのが、私が 角幡唯介 の考えに違う意見を書くのは、角幡唯介 が嫌いだからではない。逆だ。山に対する考え方が、非常に似ている。だから、今の 都会化した?社会化した?山登りの傾向に異を唱えて、山なんだからもっと自然と同化しようよ、という登山の良さを推奨してほしいのだ。とはいえ、なにもかも 角幡唯介 と見方、感じ方、考え方、が同じであるわけがなく、「それは違うだろう」と突っ込んで楽しんでみようと思っている。

で、今回は「自転車」。 だけれど、その前に、

前回のブログで、極夜の北極の旅が 衛星電話 のせいで撤退してしまったのを笑った、と書いた。その続きがあった。それは、

ちょうど読んでいた 角幡唯介 の本の後半に、「衛星電話のジレンマ」という節が出てきた。(多分、2017年に)太陽の昇らない厳冬期の極夜のグリーンランドを、八十日間にわたって一頭の犬と一緒に彷徨した旅で、やはり、GPSは持たないが衛星電話は持って行った、その時の印象を書いたのが「衛星電話のジレンマ」。

『あの極夜の旅は大きな意味で面白かった。あれほど深い発見と予期せぬ事態が連続する起伏にとんだ旅もうできないだろう。それぐらい満足度の高い経験だった。

とわいえ百パーセント満足ではなかったことも事実だ。たった一つだけ私にはあの旅で悔やんでいるところがある。それは何かというと衛星電話を使用していたことだ。

衛星電話の使用は私にとって本当にジレンマだ。』と。

衛星電話を持っていく理由は、3ヵ月近くもグリーンランドの極夜を旅するのは、家族からすれば、果たして生きているのかどうか分からない、不安だろう、だから衛星電話を持って行って定時交信する、と言うことになる。けれど(多分)交信すると、極寒の大自然にたった一人の世界から、暖かな文明社会に一気に引き戻されしまう、と言うことなのだろう。

なので、次回は衛星電話を持たずに北極に行っていいか奥さんに聞いている。『「来年はさあ、電話持って行かないで連絡なしでもいい?」

「・・・・」と最初は無言。』

そしてなんだかんだとこじつけ的理由を並べて

『とまあ色々述べ立てたところ、意外なことに妻はあっさりこう言った。

「ふーん、あ、そう。わかった」

絶対反対されると思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。』と。

折角、衛星電話を持たずに行く許可を得ていたのに、ジレンマが消えていたはずなのに、やっぱりそれでも彼は今回も衛星電話に頼ってしまったのだ。

そして見事に撤退させられた。

 

なんてことを書いていたら、自転車のことを書く場所が無くなった。

次回にしよう。

 

 

 

 

笑ってしまった  角幡唯介

角幡唯介。 自称(? 公称?)探検家。
最近何冊か、彼の本を読んだ。
山に向かう姿勢など私と似ていて、自分ではうまく説明しきれないことをスパッと文章にしてくれているので読んでいて心地よい。

似てはいるが、何事にも賛同できるわけでもないので、反・角幡唯介 思考 的なことを3つぐらい書いてみようかと思っていた。

そうしたら今日(2020年6月11日・木)、朝日新聞のネット版に 「人間界離れた54日間、一変していた世界」 という彼の記事が出ていた。

彼は、数年前から心に温めていた 極夜の北極単独横断 に出ていた。
夏の北極は、1日中、陽が沈まない「白夜」。それに対して冬の北極は逆に1日中、陽が出ない「極夜」と言うらしい。そんな真っ暗で極寒の北極の横断にとうとう出発していたらしい。

コースは、グリーンランドから氷結した北極海を越えてカナダのエルズミア島だったそうだ。

(記事分をそのまま引用させてもらうと)

1月中旬に最北の村シオラパルクに入った。

12頭の犬と氷の無人境へ旅立ったのが3月19日だった。ところが村を出発して6日目、衛星電話で最初の連絡を日本の妻にいれたとき、予期せぬ知らせをうけた。

「いい、聞いて、カナダから入国許可を取り消された。だからカナダに行けない」

そんな理不尽な……。冒険史の旅がいきなりなくなり、私はがっくりと沈んだ。と同時に無性に腹が立った。

(引用、ここまで)

これを読んで、笑ってしまった。

何故か面白かった。

彼と私では、山への姿勢は似ているけれど、山のスケールがまるで違う。

そんなでっかい奴の失敗だから面白かったのかしら?

そんなに俺って姑息な人間?と嫌な思いをしながらも、可笑しくって笑っていた。

何故、カナダが入国許可を取り消したか?  もちろん、新型コロナで全世界が入国をストップしたからだ。

くだらんことで大きな冒険の旅が消えてしまった、わけだ。

 

ちょうど一年前、私は、太平洋から日本海へ、山から山をつないで歩き、やっと日本海に到達し、再び、山から山をつないで太平洋へ戻ってこようとしていた。往路は、多くの部分で、登山道の無い結構厳しい山をつないでいったので、帰路はお気楽な登山道を、と親不知海岸から北アルプスを目指した。ところが、最初の営業小屋にあたる 朝日小屋 に予約を入れると、私の年齢が70歳を超えているとわかったら、「来ないで欲しい」となってあえなく中断。年齢を理由に登山拒否とは、いまだに思い出すと朝日小屋の女将にはムカムカ腹が立つ。

小屋が拒否するなら途中ビバーク(不時野営)して白馬山に登ってやろうかとも思ったけれど、結局、北アは止めた。

お陰で未だに、長野県境を目指して新潟県の山を歩いている。

 

だから、角幡唯介の『そんな理不尽な……。冒険史の旅がいきなりなくなり、私はがっくりと沈んだ。と同時に無性に腹が立った。』のこの気持ち、よ~くわかる。

この冬の北極は寒くて氷結状態が良かったらしい。私は、北極のことなど全く知らないが、おそらくもう数年は、氷結チャンスはないだろう。だが、闘志だけは持ち続けて10年後、15年後のチャンスを待って 単独 極夜 北極海 をやってほしい。

 

それにしても、なぜ、彼の今回のブザマな失敗がおかしいのか?

他人の失敗が楽しいのではない。「無様な失敗」がおかしいのだ。

彼は、常々、探検や冒険はもちろん、登山さえも「反社会」性を帯びた行為だと言っていた。また、

彼は、より自然と強く接するために、GPSは持たないと言っていた。だから実際、彼は、過去の北極歩行にGPSは持たずに 六分儀 を使って天測をして、苦労しながら進んでいた。

そんな文明の利器を捨て去れっ、と言う彼が、最後の街を出発して6日目に『衛星電話』で妻と通話???

これさえなければ、新型コロナも入国許可取り消しも知らずに 旅 を続けられたものを・・・

多分、このギャップが面白かったのだと思う。

彼は、その昔、仲間とともに、那智の滝 を登って逮捕される チャンス を逃がしている。彼は、山への欲望を取るか順法を取るかと言うと法に従う方を選ぶきらいがある、山は反社会的な面があると言いながら。

私なら、極夜の北極にコロナの規制などどうでもいいと無視しただろうに。

 

 

 

 

梅雨明け、7月は暑い!?

6月29日(金)に今年(2018年)の関東地方の梅雨は明けた。

確かに、数日前から天気図は 夏 の形になっていた。

但し、関東では。すなわち、西日本はまだだ。

6月29日の梅雨明け、これは1951年観測以来最速の梅雨明けだそうな。

まあ梅雨明けはそういうことなんだからそれでいいが、お昼のワイドショーでは賑やかに取り上げている。そして、今年の7月は例年に比べて 暑い !! と。

それを聞いて、レギュラーメンバーもゲストメンバーも「え~ぇ、それはヤダ~」と騒いでいる。

番組を盛り上げるためとはいえ、そういう薄っぺらな報道とリアクションは止めとくれ、とつくづく思う。

足し算引き算が出来れば、掛け算を知らなくても過去統計の7月と今年の7月では平均気温が上がってしまうのは当然、と分かるでしょう。

過去平均でいえば、7月20日ごろが梅雨明け、それまでは蒸し暑くても真夏日の暑さにはならない、梅雨明け後の残り10日ほどが真夏日になる。勿論それ以降8月に入っても真夏日は続く。

今年は7月1日はもう梅雨が明けていて、真夏日だ。それが一ケ月続きうる。

単純に足し算すれば、7月の平均気温は例年よりめちゃ高くなって当然だ。

 

私は、半世紀にわたって山をやっている。夏山もあれば雪山もやる。なので、降雪や根雪、あるいは雪解けには関心が高かい。

そんな私から見てこの10年ぐらいは季節が一ケ月早まっている、と感じている。

無論、年によって全く逆や豪雪・寡雪があるので一概には言えないが。

10月下旬にかなりの降雪があっても11月下旬には消えてしまって、年末のスキー場がヤキモキするとか。

子供のころは、7月より8月が暑いて思っていたけれどここ数年は明らかに7月の方が暑い。とか。

単に、昔に比べて一ケ月ずれているだけと思えば別にどうってことは無い。

ただ経験則が当てはまらないだけだ。

梅雨明け十日、天気は良い。山にはもってこいだ。

だが今、2500m以上の高山の残雪量は例年の6月の中旬なみに見える。

今、梅雨明け十日を狙って、山に入っても 残雪 に手を焼く。まだ入れない。残念。

雪山技術のある者は「残雪に手を焼く」で済むが、雪山トレーニングを叩き込まれていない人が今 山に入ると滑落事故を起こす。

結果、今年の 北アルプス の事故件数で高齢者の比率が減るのではないかしら。

 

 

 

 

高校生の登山

今年(2017年)3月27日に栃木県の那須スキー場近くで高校生がクラブ活動中に雪崩に巻き込まれて8人が死亡した。

この事故の原因究明も必要だが、それができたからと言って今後の「高校生の部活としての登山」について何らかの方向性が出せるのだろうか?

今日(2017年11月24日)の新聞に、富山県立山町にある国立登山研修所が10年ぶりに高校の部活顧問向けの研修を再開した、とでていた。

その研修に、顧問になって2年、それまで山の経験なし、という先生が参加していた、という記事が書かれていた。山の部活の顧問と言っても、山に関しては100パーセント 素人 なんだ。

そうかと思えば、高校部員を海外の山にまで連れていく経験豊かな顧問先生がいるのも知っている。安全登山に関して私なんかよりもはるかに造詣が深い人だ。

こんな(言葉悪いが)月とスッポンのような差のある部活に対して、スポーツ庁が一律に高校生の冬山登山の原則中止を求める通達、なんてこれまた100パーど素人の通達だ。

顧問になって初めて山を登り始めたという部が冬山に行くわけないだろう。

ヒマラヤ遠征を試みる部員は日本での冬山経験は必須だろう。

雪山に行ってはいけない部 と 雪山の経験も十分でなければならな部 と一緒に論じては話にならない。どちらに対しても危険すぎる。中庸なんては存在しない。

山、視点を変えれば意外と簡単なのだ。

これから行こうとしているその山行計画は、そのメンバーの技術・体力・経験・装備等々を鑑みて無事に登って帰ってこられるか?のチェックがなされればよいだけの話なんだ。

そのチェックを機能させることができないのなら、その部の活動は登山はおろかハイキングも止めてピクニックレベル(学校の遠足レベル)で終わらせるべきだ。

逆に、チェックが働くのなら次回の山行計画はもっと難易度を上げていけばよい。

 

 

 

 

山登りの記録を2年ぶりに追加

山登りのホームページを2年ぶりに更新した。

そう、2年と1ヶ月、記録に残して意味のある山登りが出来ていなかった。

今回記録の書けた山は、4年間も挑み続けて11回も敗退していたので一旦は諦めた山だった。

もう無理だと諦めたうえで、もう一回行ってみた。

その諦めによる気負いのなさと、諸々の好条件が重なって、それこそ「偶然に」12回目にして歩き通せた。

標高差は1400mほど(登ったトータルの標高は1800m)、距離17km、かかった時間14時間。 これを日帰りする、というのがもう私にはきつかった。

過去4年間で11回敗退、それが今回やっと行けた。

その山行記録をアップした。

 

やっと 山の記録 のページを今回追加出来てホッとしている。

これからもまた新しい記録を書いていきたい、と思うけれど、もう「記録」と言えるような厳しい山登りは次第に無理な歳になってしまっているのが現実だ。

残念だけれど事実として受け入れるしかない。

 

70歳を越えてからの趣味は?

今年(平成29年=2017年)の元日は、数えで70歳、古希になった。

と言うことは、来年は 満 で70歳になる。

そんな年になってもずっと追いかけられる、すなわち情熱を持っていられる趣味ってあるのだろうか?

中学生の頃からずっと 山 をやってきた。

まあそれも終わりに近いともう何年か前から感じていた。

70を過ぎたらもう山は無理だろうと。

もちろん 70歳の誕生日以降はピタッと山をやめるとかと言うことではない。

だんだん難しい、キツイ、山は無理になる。登るのが無理になる。

山登り、岩登り、沢登り、氷瀑登攀、雪山・・・・

これらが出来なくなる。

でも山歩きはまだまだ楽しめそう。

山歩き。

言葉変えれば、ハイキング、ウォーキングの世界だ。

でもこれって 山登り の物差しで計れば単に ショボイ、つまらぬ、小さな 山、だ。

気が向けばいつでも誰でも行ける。

それは 70歳を過ぎてからの趣味 とはならない。

さあ次ぎまたのチャンスが楽しみだ、とテンション高くできる そんな趣味。

70歳を過ぎてからのそんな趣味、あるわけないか、と諦めていたが、最近、あれっ?もしかしてこれ? と思えるものに出会えたかも。

 

 

「ブラタモリの呪い」 それは番組制作側が起こす人災だ

同番組のロケ地はこれまでも放送後に天災や人災が起こり、“ブラタモリの呪い”なんて声まで飛び交っている。

タモリと番組にしてみればとんだトバッチリだろうと日刊ゲンダイDIGITALは報じている。

 

と、出ていた。実際何が起こっているのか知らない。

けれども、番組の制作側が起こす人災では?と、私には思う節がある。

以前、TVのチャンネルを変えていたら 山 が写っていて タモリ が居た。

場所は富士山頂というかお釜巡りのどこかだと思われる。

そこで番組制作側(まさか 山岳ガイド とは思いたくないが)がお釜に向かって石を投げて何か説明していた。

驚くと同時に腹が立った。

尾根の上から見て谷底、そこが厳しければ厳しい程人が居てる可能性がある。

そう、人はその厳しさにあこがれて沢登りとかをする。

尾根筋から谷に向かって投石など言語道断、絶対にやってはいけない危険行為だ。

なので、山岳ガイドが投石しているとはちょっと考えにくい。

投石して何を説明しようとしていたのか知らないが、事故、というより事件を誘発させようとする番組だとそのとき感じた。

その番組が多分、ブラタモリ だろう。

「ブラタモリの呪い」ではない、 ブラタモリ が事件・事故を誘発させるのだ。

 

最後に本音を書き加えておこう、「NHKに安全登山を語る資格はない!」