山でGPSに頼って遭難、とかがあるそうで結構山でのGPSに否定的な人が多いように感じるが、どちらかというと私は積極的利用推進派だ。
と言っても、私の場合、GPSは専用機ではなくスマホを使っている。
以前にも書いたが、携帯からスマホに移ったのは地図ロイドというGPSアプリが欲しかったから、と言うほどGPSを手に入れたかった。で、手に入ったのだから積極的に使うのはまあ当然の姿と言うことになる。
元々、私は、いわゆる地図読みが出来るし、いつもどこを歩いていても、「今、地図上のこの辺にいる」というのは頭にある。
でも「この辺」であって「ここ」というピンポイントではない。そこはやっぱり地図に頼るしかない。
けれどもそれも不可能な場合が多々ある。例えば、
夜に歩いていて周りの地形が見えない場合、
ホワイトアウトで周りの地形が見えない場合、
樹林の濃いところで周りの地形が見えない場合、
等々、いくらでもある。さらに、
両神山の赤岩尾根の様にピークが幾つもあって地形図でそれらが全部表現できていないところなどは、地図を見てもそもそも意味がない状態にある。
このような場合、ハイ、貴方は今ここ!ってピンポイントで教えられるのは極めてありがたい。
先日も、丹沢・大山近くの梅の木尾根を下降した時、左右に分かれる多くの踏み跡に気を使いながら歩いていて「ん?」と思ってGPSを出して確認すると、コースアウトしている場合が2~3回あった。予定のルートからはずれること10m~20mで気が付いている。これを地形を読み、地図と照らして、現在地を確認するのはなかなか手間である。それがスマホを取り出せば、30秒以内で「ハイ、貴方は現在地形図のここ」とピンポイントで教えられるのだから実に有り難い。コースアウトしていてもすぐに本来のルートに復帰できる。
そう言う意味で、山ではGPSは必需品だと思っている。
山で地図読みは出来る、となったら大いにGPSを利用すべきだろう。
そもそも山で地図読みが出来ない人がGPSを見ても一体何が分かるの?って気がする。たとえで言うなら、フランス語の分からない私が仏語辞書を持っていても何が分かるというのだろうか?数個の単語の仏文を全部辞書を引いて、こう言う意味かと理解したがその意味はまるで違っていた時に、この仏語辞書ダメだ、と言えるのか?絶対言えないだろう。山のGPSも同じ事だ。
フランス語が分かるからこそ仏語辞書は価値がある。だから、山でも地図が読めるからこそGPSは価値がある。
ところで、もうすぐゴールデンウィーク。それに先立ち、長野県警から今年の春山情報が出された。その中に
・万が一の救助要請のための携帯電話や、道に迷わないためのGPSを携行して下さい。
・GPSを活用するなどして尾根道を間違えないようにしてください。
というアドバイスも書かれていた。
参考: 長野県警 → 山岳情報 →残雪期登山で遭難しないために