東京をロックダウンしようヨ

東京都の新型コロナ感染者数50人以上が最近続いている。

多い。

新宿など「夜の街」で感染が広がっていると見ていたら、「夜の街」感染者は 半分 しかいない。

一般都民で30~40人が毎日新しく感染していることになる。

多すぎるだろう!!

よく 一都三県 と言われるが、三県=埼玉・千葉・神奈川を合わせてもこの感染者数には届かない。

一都三県ではなく、 東京都 のみを ロックダウン すべきだろう。

 

都は「感染者が出ている地域は限定的で、市中感染が広がっている状況ではない」と言っているらしいが、じゃあ、「夜の街」以外の30~40人の毎日の新規感染者は何なのだ?「市中感染」以外の何物でもあるまい。「都」の認識の甘さ = 小池 の都合に合わせた情報操作 以外に何者でもない。

さらに、 都 は 「地域は限定的」と言っているが、川崎や横浜の新規感染者の半分は、「都内の感染者の 濃厚接触者 」だ。神奈川は、東京との接触を避ければ新規感染者は半減する。

東京都のロックダウンをすべきだ。

 

大阪の飲食店では、「東京都民お断り」の張り紙が結構張られているらしい。(私は見たわけではないので実態は知らないが・・・)

良いことだ。行政が「東京ロックダウン」出来ないのなら、民間一人一人で東京都民を締め出すしかない。

神奈川もすべての飲食店と小売店で「東京都民お断り」の張り紙を出そう。

そうでないと、地元神奈川県民が安心して買い物も食事もできない=しない=お金を落とさない になる。

 

数日前(県境を越えての移動も自由になったあと)、新潟の糸魚川市に行った。糸魚川市ではコロナに関係なく食事をする良いところがなかなかない。でもやっと、良さげなパスタ屋さんを見つけて入ろうとしたら「新潟県民以外お断り」の張り紙がしてあった。県境越えは自由になっているので、古い張り紙?と思って、お店の人に、「神奈川県からだけれど」と確認したらやっぱり断られた。その時は 車 ではなかったので、また、炎天下の中を歩いて食事のできるところを探した。

だから どこに住んでいるかによって店の利用を断れれる人の立場も分かるが、同様に、安心して食事をしてもらえる場を提供しようとする店の気持ちも分かる。そして思う、この店の態度の方が 正しい と。

だから行政が 東京ロックダウン できないのなら、各飲食店や小売店が 「東京都民お断り」 をすべきだ。

勿論、各お店の判断で 「都民歓迎」 でも良い。そこへは、県民が行かないから。

 

 

感染者接触通知アプリ、有効なのか?

「感染者接触通知アプリ」が先週金曜日だったか(2020年6月19日 ?)にリリースされた。

果たして使っていいものか?

多分、私は使わないと思う。

色んな意味で うさん臭い。

1.通知されたらどうすればいいの?

もし、感染者の濃厚接触者として通知されたら、どうすればいいの?

別に、PCR検査が優先的にしてもらえる訳ではなさそうだ。

どうも、単に、自分も感染している可能性が高いから、他の人にうつさないように外出を控えて自宅いや家族のことを思えば、自室待機をしなさい。ただそれだけ。自分自身は検査も治療もしてもらえる訳ではない。

2.60%の人にアプリを入れて欲しい?

国民の60%の人が利用してくれないと、あまり効果が無い、とどのマスコミも言っている。悪い、理解できないんだ、「効果」ってなに?

3.個人情報を取得しない!

アプリ利用者の氏名など個人情報を取らない、と国もマスコミも全員が口をそろえて言っている。今日、ネットを見ていたら「ボランティアだという開発者」まで個人情報を取らないと言っていた。

でも、不思議なんだ。

もし感染者の濃厚接触者となったら「通知」をされるというのはどうやって?

一般的にネットの世界で「通知」とは「メール」になる。でも、前述のとおり、個人情報は取得しない!!

では、どうやって通知?

感染者発生を一斉通信?

仮に、目標の60%の人がインストールしたとしたら、日本では、6000万個のスマホに一斉通信することになる。それは現実に可能なのか?一斉通信には、相手に届いたかどうか確認するハンドシェイク方式と、TVやラジオのように垂れ流しの方式がある。ハンドシェイク方式だとサーバ負荷は強烈だろう。垂れ流しなら、「通知」を受け取れていないスマホがわんさか出てくる。どちらも非現実的に見える。

たった一人で、6000万のスマホへ一斉通知。これが50人の感染者の日は30奥回、ということになる。まあ、無理だろう。

「通知」の逆で、「照会」方式もあり得る。アプリをインストールしたスマホから1日に一回とか半日に一回とかサーバに、「私、濃厚接触者?」と問い合わす方式。しかしこれとて、サーバ負荷は重い。

どうやって「通知」するのだろうか?と思っていたら、早くも このアプリにバグ が見つかって、そこに 「メール」 と言う文字が出ていた。

何だやっぱりしっかり メアドと言う個人情報を集めているんじゃないか、「集めていない」と国もマスコミも、更には開発者までも 人をだましていた。

4.1m、15分 が濃厚接触者

ある人と、「濃厚接触」をどうやって判定するのだろう?と話題になった。

まず、すぐ出てくるのが GPS

でもGPSはビル内とか地下鉄とかに入ると取得できない。ビル内や乗り物内という 濃厚接触 の危険性が強いところで判定能力が落ちる。

使えないだろう、となった。

ちなみに海外で GPS ベースで濃厚接触者判定をしているケースが多い。そんな国は信用しない方が良い。

GPS 判定が難しくなったら WiFi 基地局。

でも、ビル内でワンフロア全部が濃厚接触、いや、そればかりか、複数フロア全部が濃厚接触扱いになる、それもちょっとおかしいだろう。

と言う、話になった。

結果出てきたアプリは bluetooth で複数のスマホ間で通信しあう、と言うものだった。なるほど。

私の場合、電池消耗を少しでも減らすため、普段は bluetooth はオフである。アプリを入れたらこれを オン にしなければいけないんだろうな。

それはともかく、で、1m以内、ってわかるの?

仮に分かったとして、15分以内なら 濃厚接触 でない???

1m以内なら3分でも濃厚接触と思うけど・・・

せめてこれぐらい、何分で「濃厚接触」とするかぐらい、自分で設定させろよ。と思う。

 

まあ、色んな意味で うさん臭い アプリなので私は入れないだろう。

 

ちなみに、アップル か Google には、スマホを持っていれば、住所と勤務先はバレバレですからね。

毎晩、夜になったらこのスマホはこの GPS値 に居る。

それって 家 と言うことでしょ。

月曜から金曜日の昼はほぼ毎日この GPS値 に居る、って、そこは勤務先でしょう。

てな感じで、アップル と Google には、当の本人以上に本人の情報を掴まれていると理解しておくべきってことになる。

 

 

 

 

角幡唯介 は 氷瀑登攀を好む

『アイスクライミングの醍醐味は、探検のそれとかなり近い。どんな氷瀑や氷壁が待ちかまえているのか、その期待感が気分を高揚させる。』
と、氷登り山行が面白いと書いている。
角幡唯介 は、できることならまだ誰も行ったことが無いところを登りたいと思っているようだけれど、残念ながら、彼が生まれたころには、日本中の尾根も、谷も、岩壁も瀑布もすべて登り終わっているのでそれは叶わぬ夢になっている。

水平に流れる谷の水は真冬でも凍らないけれど、垂直に落ちる滝は凍り付く。
そんな氷の下は流水が流れ落ちている滝はもうとうの昔に登りつくされている。
ところが夏場、雨後にのみ滝がかかるという水量の少ないところにも真冬は氷の滝が現れる。
そういうところはもう 滝 と言うより 氷柱 だ。
そんなエクストリームな氷柱登りが一般化したのは比較的最近だ。
なので古い記録を探しても出てこない可能性も高く、そこに 未踏かも と興奮する気持ちはよくわかる。

雪山へ行く道具で重要なのが ピッケル。
片手で振り回すツルハシみたいな道具を一本持って行っていた。
このピッケルの形がどんどん変わって行って、今じゃ、カマキリの鎌そのものの形をしている。
それをカマキリよろしく両手に持って、そう2本持って氷柱を登っていく。
こんな形にピッケルが姿を変えてしまったのは、最近。10年ほどだろうか?
この形の変わったピッケルは、もう何十年も前に名前を「アックス」と呼ぶようになった。

大理石のように、カチンコチンでツルツルの氷柱に、両手にアックス、両足には爪先から鋭く飛び出した爪を更にヤスリで磨きあげたアイゼンを履いて垂直の氷を登っていく。
こういう氷登り、即ち、アイスクライミングに 角幡唯介 は面白さを感じているらしい。

『クライマーは、アックス振ることで氷の固さ、柔らかさ、粘土や強度を感じとり、その登攀の困難度を予測しながら、あるいは恐怖にすくみながら登る。つまりアックスを握ることで、人ははじめて氷壁と一体化できる。』
と言い、さらに
『つまりアックスのような良質な道具には、身体の一部となって、それがなかったときには知覚できなかった人間と地球との新たな接点を生み出すという、もう一つの世界創出の効果があるようにも思えてくるのだ。』
と、ベタ褒めだ。

この感触は私にもよくわかる。
私だって、4種類のピッケルを持っていて使い分けて雪の山に入っているし、
3種類の氷用のハンマーを持っている上に、
3種類のアイゼンを履き分けてもいる。
そして何十年のも前に八ヶ岳や奥秩父に氷を求めて入っていた。
でも、止めた。
今でも、雪の尾根を登り詰めて行って、氷結した岩場に出くわすことがある。
そんなところでは「エッ、氷かよ~っ」とより慎重になって登っていく。
別に、氷をこなす登山技術が無いわけではない。
ではなぜ氷瀑登攀を止めたか?
私は、上達しないのが分かっていたからだ。
何故上達しない?
それは、私は、腕力そして握力が非常に弱い。
この力が弱かったら、氷瀑登攀のみならず、ボルダリング、フリークライム、そして、昔の人口登攀は全く上達しない。
余談になるが、握力のある人は、ボルダリングやフリークライムをされると良い。
すぐに一定レベルまで上達する。間違いない。

氷瀑登攀。
両手のアックスの先っぽと両足のアイゼンのつま先だけが、僅かに氷に食い込んで登っていく。
角幡唯介 の言う『身体の一部となって、それがなかったときには知覚できなかった人間と地球との新たな接点』
この感触。実は、私はこれが嫌いだ。
自分の体で登っている、と言う感触に欠けるのだ。
昔で言う「人口登攀」みたいな感じなのだ。
人口登攀とは、自分の靴では登れないので3段ぐらいの縄梯子をかけ替えながら岩を登っていく。
そう、自分が登っているのは 梯子 であって 岩 ではない。
足場が無くって、縄梯子。やむを得ないと分かっているので、全面的にイヤなわけではない。
ただ、縄梯子を架け替え架け替え登っていく。
その感触はイヤなのだ。
氷瀑登攀もそれだ。
結局、道具に頼りすぎ、とか、道具次第、とかになってきてしまう気がするのだ。

ただ、エクストリームな氷柱登り。
余りの難度の高さにアドレナリンが出まくっている。
角幡唯介 が『その登攀の困難度を予測しながら、あるいは恐怖にすくみながら登る。』
この世界に 「生」 を感じ、次から次へと登りたがる気持ちはよくわかる。
でも、直接 「生」 を感じることはできない。
すぐそこに死を知覚するから 「生」 を感じられるのだ。

そんな危険なアイスクライミング、どうか、今後も無事に続けて欲しい。

 

角幡唯介 の 自転車論を さぁ全否定しよう

と、書こうと思ったけれど、止めた。

彼は、自転車に乗る。その目で今の道路事情を見ると走りづらくって何とかしろと言う。
私は、自転車には乗らず、車か歩き。どちらの目で見ても、自転車は邪魔で仕方がない。
こんな両極端の二人の意見の違いを書いても何の意味もないので止める。

次回、アイスクライミングについて書いてみる。

角幡唯介 の 自転車論を全否定する

まずお断りしたいのが、私が 角幡唯介 の考えに違う意見を書くのは、角幡唯介 が嫌いだからではない。逆だ。山に対する考え方が、非常に似ている。だから、今の 都会化した?社会化した?山登りの傾向に異を唱えて、山なんだからもっと自然と同化しようよ、という登山の良さを推奨してほしいのだ。とはいえ、なにもかも 角幡唯介 と見方、感じ方、考え方、が同じであるわけがなく、「それは違うだろう」と突っ込んで楽しんでみようと思っている。

で、今回は「自転車」。 だけれど、その前に、

前回のブログで、極夜の北極の旅が 衛星電話 のせいで撤退してしまったのを笑った、と書いた。その続きがあった。それは、

ちょうど読んでいた 角幡唯介 の本の後半に、「衛星電話のジレンマ」という節が出てきた。(多分、2017年に)太陽の昇らない厳冬期の極夜のグリーンランドを、八十日間にわたって一頭の犬と一緒に彷徨した旅で、やはり、GPSは持たないが衛星電話は持って行った、その時の印象を書いたのが「衛星電話のジレンマ」。

『あの極夜の旅は大きな意味で面白かった。あれほど深い発見と予期せぬ事態が連続する起伏にとんだ旅もうできないだろう。それぐらい満足度の高い経験だった。

とわいえ百パーセント満足ではなかったことも事実だ。たった一つだけ私にはあの旅で悔やんでいるところがある。それは何かというと衛星電話を使用していたことだ。

衛星電話の使用は私にとって本当にジレンマだ。』と。

衛星電話を持っていく理由は、3ヵ月近くもグリーンランドの極夜を旅するのは、家族からすれば、果たして生きているのかどうか分からない、不安だろう、だから衛星電話を持って行って定時交信する、と言うことになる。けれど(多分)交信すると、極寒の大自然にたった一人の世界から、暖かな文明社会に一気に引き戻されしまう、と言うことなのだろう。

なので、次回は衛星電話を持たずに北極に行っていいか奥さんに聞いている。『「来年はさあ、電話持って行かないで連絡なしでもいい?」

「・・・・」と最初は無言。』

そしてなんだかんだとこじつけ的理由を並べて

『とまあ色々述べ立てたところ、意外なことに妻はあっさりこう言った。

「ふーん、あ、そう。わかった」

絶対反対されると思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。』と。

折角、衛星電話を持たずに行く許可を得ていたのに、ジレンマが消えていたはずなのに、やっぱりそれでも彼は今回も衛星電話に頼ってしまったのだ。

そして見事に撤退させられた。

 

なんてことを書いていたら、自転車のことを書く場所が無くなった。

次回にしよう。

 

 

 

 

笑ってしまった  角幡唯介

角幡唯介。 自称(? 公称?)探検家。
最近何冊か、彼の本を読んだ。
山に向かう姿勢など私と似ていて、自分ではうまく説明しきれないことをスパッと文章にしてくれているので読んでいて心地よい。

似てはいるが、何事にも賛同できるわけでもないので、反・角幡唯介 思考 的なことを3つぐらい書いてみようかと思っていた。

そうしたら今日(2020年6月11日・木)、朝日新聞のネット版に 「人間界離れた54日間、一変していた世界」 という彼の記事が出ていた。

彼は、数年前から心に温めていた 極夜の北極単独横断 に出ていた。
夏の北極は、1日中、陽が沈まない「白夜」。それに対して冬の北極は逆に1日中、陽が出ない「極夜」と言うらしい。そんな真っ暗で極寒の北極の横断にとうとう出発していたらしい。

コースは、グリーンランドから氷結した北極海を越えてカナダのエルズミア島だったそうだ。

(記事分をそのまま引用させてもらうと)

1月中旬に最北の村シオラパルクに入った。

12頭の犬と氷の無人境へ旅立ったのが3月19日だった。ところが村を出発して6日目、衛星電話で最初の連絡を日本の妻にいれたとき、予期せぬ知らせをうけた。

「いい、聞いて、カナダから入国許可を取り消された。だからカナダに行けない」

そんな理不尽な……。冒険史の旅がいきなりなくなり、私はがっくりと沈んだ。と同時に無性に腹が立った。

(引用、ここまで)

これを読んで、笑ってしまった。

何故か面白かった。

彼と私では、山への姿勢は似ているけれど、山のスケールがまるで違う。

そんなでっかい奴の失敗だから面白かったのかしら?

そんなに俺って姑息な人間?と嫌な思いをしながらも、可笑しくって笑っていた。

何故、カナダが入国許可を取り消したか?  もちろん、新型コロナで全世界が入国をストップしたからだ。

くだらんことで大きな冒険の旅が消えてしまった、わけだ。

 

ちょうど一年前、私は、太平洋から日本海へ、山から山をつないで歩き、やっと日本海に到達し、再び、山から山をつないで太平洋へ戻ってこようとしていた。往路は、多くの部分で、登山道の無い結構厳しい山をつないでいったので、帰路はお気楽な登山道を、と親不知海岸から北アルプスを目指した。ところが、最初の営業小屋にあたる 朝日小屋 に予約を入れると、私の年齢が70歳を超えているとわかったら、「来ないで欲しい」となってあえなく中断。年齢を理由に登山拒否とは、いまだに思い出すと朝日小屋の女将にはムカムカ腹が立つ。

小屋が拒否するなら途中ビバーク(不時野営)して白馬山に登ってやろうかとも思ったけれど、結局、北アは止めた。

お陰で未だに、長野県境を目指して新潟県の山を歩いている。

 

だから、角幡唯介の『そんな理不尽な……。冒険史の旅がいきなりなくなり、私はがっくりと沈んだ。と同時に無性に腹が立った。』のこの気持ち、よ~くわかる。

この冬の北極は寒くて氷結状態が良かったらしい。私は、北極のことなど全く知らないが、おそらくもう数年は、氷結チャンスはないだろう。だが、闘志だけは持ち続けて10年後、15年後のチャンスを待って 単独 極夜 北極海 をやってほしい。

 

それにしても、なぜ、彼の今回のブザマな失敗がおかしいのか?

他人の失敗が楽しいのではない。「無様な失敗」がおかしいのだ。

彼は、常々、探検や冒険はもちろん、登山さえも「反社会」性を帯びた行為だと言っていた。また、

彼は、より自然と強く接するために、GPSは持たないと言っていた。だから実際、彼は、過去の北極歩行にGPSは持たずに 六分儀 を使って天測をして、苦労しながら進んでいた。

そんな文明の利器を捨て去れっ、と言う彼が、最後の街を出発して6日目に『衛星電話』で妻と通話???

これさえなければ、新型コロナも入国許可取り消しも知らずに 旅 を続けられたものを・・・

多分、このギャップが面白かったのだと思う。

彼は、その昔、仲間とともに、那智の滝 を登って逮捕される チャンス を逃がしている。彼は、山への欲望を取るか順法を取るかと言うと法に従う方を選ぶきらいがある、山は反社会的な面があると言いながら。

私なら、極夜の北極にコロナの規制などどうでもいいと無視しただろうに。