人類史が面白い

人類史に何をワクワクするのだろうか?

人=ホモ・サピエンスは、16万年前~20万年前にアフリカに現れ、6万年か10万年前にアフリカを出たとされている。

そして6万年前にはインドに達し、4万5000年前にはオーストラリアへ、4万年前には今の中国へと達し、1万5000年前にアラスカへと渡り、5000年後の1万年前には南アメリカ南端にまで届いている。あるいは、舟でメラネシア、ポリネシア、そして海路で南アメリカに達したのはつい最近の2000年前~1000年前とされ、氷河や海に行く手を遮られながらも極点を除く全地球への旅が完結した。

同じ歴史でも、有史時代の長さの何十倍もかけた人類の旅だった。

でもこれで終わったとは思えない。

宇宙に目を向けると、人類はやっと大気圏を出て月にまで足跡を残しただけで、言うなれば今はまだ、人類が現れてアフリカから出ることが出来ていないのと同じ時期なのだろう。

いずれ太陽圏を出て他の惑星で生きるようになるのだろうが、その時までには、紛争を武力ではなく解決できる知恵を持ったホモ・サピエンスに進化していて欲しい。

そんな気持ちが、人類史を学ぶ面白さになっているような気がする。

 

日本に旧人か原人が居た???

ここ1~2ヶ月は、人類史に興味をもって本などを読んでいる。

人類史すなわち先史時代(文献が残っている歴史時代以前)のお話しで、日本で言えば、私の関心は、縄文時代以前となる。

ここ横浜市にも都筑区に縄文遺跡が多く発掘され、「横浜市歴史博物館」に多くが展示されている。

そこへ行ってきた。館内は人が少なくゆっくり見て回れ、非常に良いところだった。

旧石器や縄文土器がこんなにあるのか、と思うほど多く陳列されていた。

実に興味深い。

ただ残念なのは、原始Ⅰブースの「土の中に埋もれた歴史」の説明板に『日本列島に人間が住みはじめた13~50万年前』という記述があったことだ。

これには2つの誤りがある。

まず一つは、人間=ホモ・サピエンスが現れたのは16万年~20万年前にアフリカに現れ、そのアフリカからシナイ半島またはアラビア半島へ出たのが10万年前または6万年前とされているから、『13~50万年前』に日本はおろかアジアに人間が居る訳がない。

ちなみに、日本で顔立ちや身長が分かる綺麗なかたちで発見されている一番古い人骨は、沖縄の港川人で2万1000年前頃とされている。

ではここで言う 人間 が、ヒト科ヒト属ヒトすなわちホモサピエンスでないとするなら、旧人とか原人とかの亜種になる。当然、日本では旧人や原人の人骨は発見されていない。

ただ、ホモサピエンス以前の石器が発掘されているとされているが、12万年前ぐらいが限界のようだ。

そうすると『13~50万年前』とは何か?と言うことになるが、これは、あの藤村によって捏造された日本の人類史を横浜市歴史博物館ではいまだに来館者に堂々と展示していることになる。

残念!!!

 

 

 

アリバイ登頂 - その4

小屋泊でのアリバイ登頂

南アの北部、北岳周辺には3000m峰が幾つか連なっていて、個々の山を日帰りで登るより縦走した方が楽しそうな山々がある。

泊まりがけの縦走ならテント泊しか考えられない自分だが、そもそもこの南ア3000m峰アリバイ登頂の峰々はそれらの山々に魅力を感じて登りたいという訳ではないので、テント担いで自炊してと言う気合いが湧いてこないので小屋泊とさせてもらった。

小屋オンチの私は、ネットで調べて宿泊予定の2つの小屋に電話予約を入れて出発したが、別段、事前予約は要らないらしい。

小屋泊まりは、一泊2食付きで8000円ほどかかる。これ自体が高いとは思わないが、2泊して1万5~6千円となると、山の装備の一つも買える金額になる。こうなると小屋泊は高いものだと改めて気付かさされた。小屋には早い目に到着して、コーヒーでもすすりながらゆっくりした気分で景色とかを堪能しないと勿体ない。

そんな小屋泊山行で、登った3000m峰は、農鳥岳・西農鳥岳・間ノ岳・中白根岳・北岳と5座になった。計画では仙丈ヶ岳もついでに登る予定だったが、残念ながらコースタイム通り歩く力無く、登ることは出来なかった。

山頂からの景色が綺麗だった 間ノ岳 には、アリバイ登頂ではなく、素晴らしい山として、もう一度登ってみたいと思う。

でも、一番奥深い山なので無理だろうな・・・