天然記念物の岩に ハーケン

この一週間ほどで多くのマスコミが天然記念物や観光地の岩に岩登り用のハーケンが打たれていると立て続けに報じていた。

NHK、読売、朝日、日経などだ。

まず、岐阜県御嵩町にある国の天然記念物「鬼岩」でハーケン2本が打ち込まれているのが見つかった、と報じられたら、

すぐ続けて、白山国立公園にある石川県指定の天然記念物「白峰百万貫の岩」にも打たれていると報じられた。

そして、続けて、長野県飯田市の景勝地「天龍峡」の巨岩「樵廡洞」とその周辺の岩に60本以上のハーケンと報じられた。

警察沙汰になっている。

 

岩登り禁止の岩に登っちゃまずいだろう。

クライム=climb(よじ登る)はやってもクライム=crime(犯罪)をやっちゃいかん。

 

しかし、岐阜県の鬼岩は1980年代にもう登られてルートとして紹介されていた。

それを今更なんなんだ?

石川県は知らないが、天竜峡はハーケンの多さから見て同じ頃には登られいて毎週末のようにクライマは練習に行っていたんだろう。

それを今更、なんなんだ。

本当に登られては困るのなら、もう何十年も前にクライマーに注意し、「登るな」の立て看も設置しておくべきだろう。

それを何十年と任務を遂行せずに、今ここに来て急になんなんだ。

だったら、私は、むしろ、クライム=climb(よじ登る)をやってクライム=crime(犯罪)を犯し、捕まって、罪を償って、堂々とお天道様の下を生きていきたい。

後出しジャンケンのような姑息なことをして、お月様の下さえも歩くのが恥ずかしいような、そんな人生は生きたくない。

 

 

いよいよ梅雨か

いよいよ梅雨か?って何を呑気な・・・・

今年の梅雨入りが宣言されてもう半月ぐらいになるかと思う。

でも今までは丸一日晴れが約束されるような日が結構あったし、事実、山にも登っていた。

でもそれも終わったようで、これからは丸一日天気がもつ日は無さそうだ。

半月は山を諦めねばならんようだ。

あ、いや、半日の岩トレなら行けそうかも・・・

 

今度は完成するか?ホームページ

私が学生時代にお世話になったクラブは、チャンとした立派なホームページを持っている。

本職の人にお願いして数年前に作ってもらった動作もデザインもしっかりしたホームページだ。

そのホームページは、通常通り、HTMLタグ と CSS と JavaScript で作られている。

従って、「静的」なホームページなので内容の変更のしようがない、と言うことに昨年秋に気が付いた。

(ちなみに、日常活動を報告するブログは、無料の アメブロ を利用させてもらっている。)

「静的」ホームページなので、例えば、「部員紹介」ページは数年前のままになっている。

これはまずいと、現役さんから現在のメンバの写真と名前などの文字データを送ってもらって、「部員紹介」ページを作り直した。

しかし、毎回手作業でHTMLファイルを書き換えて更新するわけにはいかない。

なので私の好きなプログラミングで、写真や文字データをサーバにアップロードして、「部員紹介」ページを現役さん自身がいつでも好きに更新出来る、そんなプログラムを作ることにした。

プログラムを作るのは良いが、将来のことを考えて、大きな構想を立てて作り始めたものだから、元々の完成予定の昨年の暮れにはまだなんの形も出来なかった。

で、2回目の納期を半月前の5月末としたが、それでも全然出来なかった。

でもその後も頑張ったおかげで数日前にプログラム作りの方は大体の様子が見えてきた。

じゃあ、そのプログラムで作った「部員紹介」ページが現行のページと同じように見えるようにする事が出来るかやってみたらこれが又難しい。遅々として進まない。

数年前のホームページは当然パソコン用に出来ている。

今の学生さんはパソコンよりスマホが中心だ。

なので、同じ一つの画面でも、パソコン用とスマホ用とタブレット用に見せ方を変えなければならない。

もちろん、データファイル(=HTMLファイル)はたった一つで3用途別に表示の仕方を分ける。

こういう1つのHTMLファイル(今回の場合、部員データファイル)を3用途別に表示を切り替える方法を レシポンシブルWebデザイン という。

この レシポンシブルWebデザイン という方法でホームページを作る場合は、「モバイルファースト」と言って、まず、スマホ用に作って、その画面を大きな、タブレットやパソコン用に表示の仕方を切り替える、と言うのが開発手順になっている。

それが今回の場合は、すでにパソコン用があるので、逆の作成手順になり、現行と同じパソコン用に表示出来るようにして、その後、スマホやタブレット表示用に作らねばならない。

正直これはかなりキツイ作業だ。

でも幸いにして、それも大体目処が立ってきた。

どうやら今回は現役さんにプログラムを提供出来そうだ。

多分、きっと、おそらく・・・・出来たらいいなぁ~~

 

 

図書館の本は借りる価値がある

図書館の本は「読む価値」があるかどうかは分からない。それは、本の内容や文章の上手さ、あるいは、読者の感心や理解力などで決まってくるので何とも言えない。

けれど、本の内容にかかわらず、図書館の本は「借りる価値」はある。

人気の本は同じものが図書館で何冊も購入されている。

それでも多くの人が予約を入れているので、実際に借りられるのは半年先とかになる。

これが一般的だ。

しかし、何冊も図書館が保有しているのにすぐに借りられる本もある。

これは広告等で一気に広まって図書館で何冊も購入されたが読んでみるとスカだったという本だろう。

要するに人気が継続していない、最初の広告だけで売れた本と言うことらしい。

また別のパターンでは、人気で予約はたくさん入っているが実際に本を手にすると、途中からは新品に近く殆ど読まれていない、と言う本がある。

多くの人が期待して予約は入れてやっと自分の番に回ってきたけれど、つまらないから?文章が下手だから?難しすぎて読めないから?理由はともかく、ほぼ全員が読まなかった本と言うことらしい。

人気のない本でも同様の現象がある。よく手にされるからか表紙はそれなりに汚れているし傷んでもいる。けれど文章の所は新品の臭いが残っているかと思う程綺麗な本もある。これも、読みかけた人の殆どが途中放棄した本だろう。

 

図書館の予約状況から、手にした本の状態から、その本の「実力」がわかる。

 

書籍「資本主義の終焉と歴史の危機」

書籍「資本主義の終焉と歴史の危機」を とうとう 読んでみた。

紀伊國屋書店のダイレクトメールでこの本の紹介が10回は来た。

紀伊国屋はお奨めなのかも知れないが私はこの手の本に感心がない。

でも、あんまりしつこくダイレクトメールが来るので とうとう 読んでみた。

結果、不愉快なぐらい面白くない。

何故面白くないと決めてかかっていたか。

まず、著者は当然のごとく 経済 の専門家である。片や私は何とか日経新聞が読める程度しか経済が分からない。ということは著者の言う「資本主義」とはなんぞやと言うことは結局最後まで私には理解出来なかったので、それ(=資本主義)が 終わる と言われようが、益々絶好調と言われようが私にはイメージ出来ない。

分からないながらもこの手の話しは10年以上前に何冊か読んでいるので、理解出来る範囲では全く新鮮みがない。

新鮮み?一つあったかも。マルクス主義が見直される、みたいなことが書かれていた、点か。

そして、この手の話題は、「終焉」と説明してくれるのは良いが、じゃあ、明日から私はどうすればいいの?どう思考すればいいの?についてはヒントはおろか著者は書こうともしていない。

この「終焉」を訴える本はみんなそうだ。

絶対に、なのでどうすればよい、は書かれていない。

結局、終焉するかしないかを知っても知らなくっても、全く意味がない(変化がない。変化しようがない。)

それが分かっていたからこの本を紀伊国屋が薦めても読まなかった。

この手の本は、お金と時間の無駄なんだ。