懐かしい ヤッケ

「ヤッケ」、今の若い人には通じないのでは?

通じたとしても「レインウェア」と思われているかも知れない。

 

昔、雪山で一番外に着た防風と防雪の為の衣類だ。

今、雪山で一番外に着るウェアは、ハードシェル とか ソフトシェル とか言われている。

そう、ヤッケは数十年前に消えたウェアだ。

それを今日、あの TheNorthFace のウィンドウで見た。勿論新品です。

ハーフジップでプルオーバー式に着用する。

袖口も昔と同様にボタン式だった。

見た感じマジックテープで閉じるところは無さそうだった。

お腹の所には大きなポケットも付いていた。

正に半世紀前のデザインそのものだった。

あまりの懐かしさに何度も何度も覗き込んで見ていた。

BORNE  IN  NORWAY  OSLO

書かれたタグが付いていた。

 

昔に較べれば、生地の性能は雲泥の差で上がっているだろうが、機能は昔のままで、もう山で着用する人は居ないだろう。

そうすると、街中での着用か?

若い人にとって、それは、ちょっと周りにはない、オシャレ着なんだろう。

 

だけれど我らお爺ちゃんは半世紀前にそれを着ていたんだ。

 

 

 

雪崩遭難事故、業務上過失致死か?

昨日、2016年3月15日、八ヶ岳阿弥陀岳南稜で雪崩が起きて3人が巻き込まれて一人が亡くなった。

山岳ガイド・成田賢二さんがガイドしていたらしい。

山岳ガイド・成田賢二といえば色々いい山をガイドしている。

その技術力には定評がある。

にもかかわらず、お客を雪崩遭難死させてしまった。

南稜という名前のルートだが、P3(第3ピーク)は直接登りにくいので左から隘路になった沢芯を登るルートだ。そこの登攀中に雪崩にあったものだろう。

前日の14日は、夜中まで降雪だった。

雪崩の条件は完璧に揃っていたと思う。

それでも突っ込んだ。

業務上過失致死が問われても仕方ないだろう。

 

ガイドは危険と分かっていても、登らないと収入にならないし、お客は昨日の天気とは打って変わっての晴天、是非登りたいと言うだろう。

成田賢二ほどのガイドなら、この日確実に雪崩れることを分かっていただろう。

けれど、自分もお客も登りたい、というベクトルは一致している。

その結果がこれだ。

 

結果を見てからならなんとでも言えるのだけれど、成田賢二なら登りにくいとされるP3(第3ピーク)を軽く直登していけたであろう。

雪崩を察知していたはずの成田賢二は、何故、P3(第3ピーク)を直登しなかった?

 

出発地点からP3(第3ピーク)の直下まで歩いてする間に、雪崩れる雪層であることはイヤ程感じながら登ったはずだ。けれども突っ込む。

ガイド登山、いや、パーティ登山のメンバーの心が作りだす行け行けムード。山ではこれが怖い。

 

お化けが恐い

お化けが恐い。そらみんな恐いでしょうきっと。

でも今までに出会ったことがある訳はない。

 

今年の1月末から2月末の一ヶ月間に北アルプスの焼岳へ4回登りに行って4回とも登れずに敗退して帰ってきた。

この敗退癖を取りたいと 「敗退のお祓い山行」 として、少し近めの八ヶ岳へ行って来た。

午後に横浜の家を出て甲府市内の国道20号線で夕食を取って、八ヶ岳の麓の登山口駐車場まで入って車中泊して翌朝未明に歩き始める予定だった。

八ヶ岳は北アルプスなんかに較べて近場でいい山なんだけれど私には馴染みがない。

登山口の駐車場ってどんな所なんだろう?

ガタガタ未舗装の林道を進んだ突き当たりのちょっとした広場だったら、樹林におおわれた真っ暗な広場だったらイヤだな~、と思いながら車を走らせる。

夕食後、甲府を離れ、国道を離れ、緩やかな登りの道が続いているけど、もう充分に暗い。

けれど結構まだ家もあるし工場のような建物もあるし、対向車も後続車もある。

でも、街の明るさとはほど遠い。暗い。

奥に進む程暗さは濃くなる。

もう先ほどから帰りたくて仕方がない。

でも駐車場までは行ってみよう、と頑張った。

登山口駐車場はちょうど交差点になっていて全く車は通らないけれど信号が付いていて結構明るい。

真っ暗闇ではない、ホッとして早々に寝袋に入った。

4時に出発準備をして車から出た。

勿論まだ真っ暗だし、頭上には久々に見事に光る北斗七星をみて出発した。

が、登山道はすぐに真っ暗になる。当たり前だ。

ウ~ン、昨日の暗闇の中を走る車での気持ち悪さがよみがえる。

ダメだ、先へ進みたくない。と、100mほど歩いて車に戻ってきてしまった。

ザックを車に積んで、登山靴をスニーカーに履き替えて、エンジンかけて早々に発車した。

「敗退のお祓い山行」どころか、敗退癖は悪化したようなものだ。

 

山の敗退理由は幾つもある。

私にはこの おばけ=暗闇の恐怖 もその理由の1つだ。

黒部川で2回、丹沢で1回、新穂高で1回。ちょっと思い返しただけでも幾つも出てくる。

一人テントでこの暗闇の恐怖に取り付かれると、翌日明るくなっても、もう先へ進む気力が無くなって一目散に逃げ帰る。

昔から、何回も経験している。

 

もう70近いこの歳で、今更、この暗闇の恐怖の対策が分かっても今後満足出来る登山が出来る訳でもないが、今回少し、暗闇の対処の方法が分かったような気がする。

でも、確かめるのは コ ワ イ な~。

ただ、不思議なのは、雪山の一人テント泊ではこの暗闇の恐怖に襲われたことはない。

テント泊の雪山。全力を尽くして何とかやっと無事に下山してこられる雪山。そんな厳しすぎる雪山では、実際には何もない暗闇の恐怖など感じている程、心に余裕がないのかも知れない。

 

 

海部陽介の新刊 「日本人はどこから来たのか?」 その3

旧石器時代から人はサルを食べていた。

海部氏ではない他の人の本で、

「サルは人間に近いから情が移って食べにくいからか、サルを食べない人達の遺跡の方が多い。

しかし、縄文人はサルを食べていた。しかも子ザルまでも食べていた。」

と言う内容の本を読んだ。

この感性には違和感があった。

サルが人間に近い?確かにそうだけれどそれはそのように学校で教わったからだろ、当時の人がサルをイノシシやウサギと「情が移る」様な意味合いで区別したのだろうか?それはないだろう、と思っていた。

また、縄文人はその動物を絶滅させないために、子供が捕れてもリリースした、と言うようなことが書かれていたがこれも信じられなかったので、縄文人は子ザルも食べていた、という内容に納得して、それ以上勘ぐることなく、且つ、違和感もなく読み進んだ記憶がある。

しかし、サルには情が移る、と言うような証明しようのないことに海部氏は全く感知せず、サルを食べると言うことは、樹上に逃げ込むサルを捕獲する術を当時に人は持っていた。すごいことだ、と書いている。

確かに、サルを食べたかどうかは、情が移るかどうかではなく、樹上のサルを捕獲する術を持っていたかどうかと言うことだ。

こういった視点が海部さんの説得力のある文に繋がっている。

逆に、感情論で行くから藤村の石器捏造事件を『学会』として起こしていくことになっていると思う。感情や欲望が先立つ大胆な仮説を立てて楽しんでいるのではなく、じっくりと科学の視線で追い続けて欲しいものだ。

猿を捕獲する術、で思い出したけれど、確か、縄文人の遺跡からは「空を飛ぶ鳥」を食べていた、という内容は読んだ記憶がないような・・・

樹上のサルまでは捕まえることが出来たかも知れないが、空飛ぶ鳥までもは捕獲出来なかった、と言うことだろうか?

 

追記 : 2016.03.09

縄文人は鳥を食べていた。

本を読んだ時には、縄文人が鳥を食べていた記憶は無かったがネットで調べたらしっかり食べていたようです。

群馬県桐生市、千網谷戸遺跡(チアミガイト遺跡)からは、キジ・ヤマドリが、

鹿児島県上野原縄文の森 黒川洞穴からは、キジ・ガン・カモ・ハト・ワシタカ目が食べられていたそうです。

他の遺跡は調べていません、でも普通にどの地域の縄文人も鳥を食べていたのでしょう。

 

 

海部陽介の新刊 「日本人はどこから来たのか?」 その2

今日も書籍「日本人はどこから来たのか?」を10ページ程読んだ。

やっぱり面白いのでついついページが先に進んでしまうが、あ~それでは勿体ないと本を閉じる。セーブしているのに3分の2ほど読んでしまっている。

この本の最初の方で「信頼出来る/有用な 初期ホモ・サピエンスの遺跡地図」として南北アメリカを除く世界地図が出ている。

これを見ると、なるほど人類はアフリカを出て東へ進んだんだと分かる。

やっぱり見たことのない世界へ行くのなら、陽の出る東へと向かうよな、と感じる。

勿論、現在はきな臭いシリアやイラクから西のヨーロッパへ向かった人々もいた。

クロマニョン人と言われる人々だ。

何故、西へ向かったんだ?

ふと思ったのが、クロマニョン人って有色人種のように模型とか作られているけれど、ひょっとして白人?と。

理由は、シリアやイラクあたりで突然白人が生まれた。当然周りの有色人種からは気持ち悪がられ、近くに来るな、付近から出て行けと迫害された。それも陽の出る東へ行ってはならん、暗闇に没する西へ行けと追放された人々だった、のでは?と。

アフリカからアジア、そしてオーストラリアやシベリアからアラスカ、さらに南米までたどり着いた人類はみんな有色人種だ。白人がそう簡単に出来るものではないことを示している。

けれどヨーロッパはみな白人だ。

ヨーロッパで白人になったのではない、白人としてヨーロッパに流れ着いたと見るのが自然だろう。

そうするとクロマニョン人は白人だったと言うことになる。

違うかな?

 

なんて、「信頼出来る/有用な 初期ホモ・サピエンスの遺跡地図」を見ながら想像した。

 

 

 

海部陽介の新刊 「日本人はどこから来たのか?」 その1

海部陽介の本、「日本人はどこから来たのか?」が出版されていると新聞の広告に出ていたので早速買った。

とても楽しみなので勿体なくって一気には読めない。

私が今、こんなに縄文時代に興味を持つようになったきっかけが「人類がたどってきた道」という海部陽介の本だった。

先史時代の話しとはなんの関係もない新書版に、海部陽介の「人類がたどってきた道」は面白いよ、と書いてあって、何故か惹かれて買ってみた。

元々、弥生や縄文、ましてや旧石器時代になんの感心もなかったのに、読み始めると、ワクワク、ドキドキ、そしてハラハラ、実に面白い。およそどんな推理小説もこれにはかなわないだろうと思う程の面白さだった。

要は、海部陽介のストーリー展開と文章が上手すぎるのだ。

これをきっかけに沢山の先史時代の本を読んだ。

でも、これはすごいと思うのには残念ながらほとんど出会わなかった。

イヤ、むしろ、文学部教授ならもう少しまともな日本語文を書けよ、と言いたくなる本の方が多かった。

それだけに海部さんの本はすごいと感じる。

ただどれほど文章が下手で読みづらくても、先史時代の人類が、6万年前に6万キロの旅に出る、これほどスケールのでかいロマンスは作り得ない。

神よりも古くお釈迦様よりずっとずっと昔に、人類はその旅に出た。

本当はただただ生きるためだけの苦労の移動であったとしても、それを広大なロマンスと感じてどの学者も筆をしたためてくれている。その心は伝わってくる。

そのロマンスの語りが海部陽介はとりわけ熱く上手い。

 

さあ2冊目の本、楽しみにして読ませてもらおう。