角幡唯介 の 自転車論を全否定する

まずお断りしたいのが、私が 角幡唯介 の考えに違う意見を書くのは、角幡唯介 が嫌いだからではない。逆だ。山に対する考え方が、非常に似ている。だから、今の 都会化した?社会化した?山登りの傾向に異を唱えて、山なんだからもっと自然と同化しようよ、という登山の良さを推奨してほしいのだ。とはいえ、なにもかも 角幡唯介 と見方、感じ方、考え方、が同じであるわけがなく、「それは違うだろう」と突っ込んで楽しんでみようと思っている。

で、今回は「自転車」。 だけれど、その前に、

前回のブログで、極夜の北極の旅が 衛星電話 のせいで撤退してしまったのを笑った、と書いた。その続きがあった。それは、

ちょうど読んでいた 角幡唯介 の本の後半に、「衛星電話のジレンマ」という節が出てきた。(多分、2017年に)太陽の昇らない厳冬期の極夜のグリーンランドを、八十日間にわたって一頭の犬と一緒に彷徨した旅で、やはり、GPSは持たないが衛星電話は持って行った、その時の印象を書いたのが「衛星電話のジレンマ」。

『あの極夜の旅は大きな意味で面白かった。あれほど深い発見と予期せぬ事態が連続する起伏にとんだ旅もうできないだろう。それぐらい満足度の高い経験だった。

とわいえ百パーセント満足ではなかったことも事実だ。たった一つだけ私にはあの旅で悔やんでいるところがある。それは何かというと衛星電話を使用していたことだ。

衛星電話の使用は私にとって本当にジレンマだ。』と。

衛星電話を持っていく理由は、3ヵ月近くもグリーンランドの極夜を旅するのは、家族からすれば、果たして生きているのかどうか分からない、不安だろう、だから衛星電話を持って行って定時交信する、と言うことになる。けれど(多分)交信すると、極寒の大自然にたった一人の世界から、暖かな文明社会に一気に引き戻されしまう、と言うことなのだろう。

なので、次回は衛星電話を持たずに北極に行っていいか奥さんに聞いている。『「来年はさあ、電話持って行かないで連絡なしでもいい?」

「・・・・」と最初は無言。』

そしてなんだかんだとこじつけ的理由を並べて

『とまあ色々述べ立てたところ、意外なことに妻はあっさりこう言った。

「ふーん、あ、そう。わかった」

絶対反対されると思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。』と。

折角、衛星電話を持たずに行く許可を得ていたのに、ジレンマが消えていたはずなのに、やっぱりそれでも彼は今回も衛星電話に頼ってしまったのだ。

そして見事に撤退させられた。

 

なんてことを書いていたら、自転車のことを書く場所が無くなった。

次回にしよう。

 

 

 

 

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