日本人は、縄文人か弥生人か

一般に、古くは日本には縄文文化の人々が全国に住んでいて、およそ3000年前に朝鮮半島から稲作文化を持った弥生人が入ってきて次第に取って代わられた、という風に説明されている。

確かに、姿形やDNAからはそれが言えるのだろう。

でも、一つだけ、どうもそれでは納得できないことがある。

稲作文化が朝鮮半島から渡ってきたのは、3000年前、とかなり近い過去だ。

そして、今から1300年ほど前に「古事記」は作られた。漢字で書かれているが、いわゆる日本語で書かれている。

もし、3000年前に朝鮮半島の人が日本に来て、弥生文化を、従って朝鮮の言葉を浸透させたとするなら、その僅か1700年後の古事記も朝鮮の言葉が色濃く残っているはずだ。でも、古事記は今も通じる日本語だ。

おかしい。

と言うことから思うに、元々日本にいた縄文人は、自分たちの文化、すなわち自分たちの言葉の世界を譲ることなく、単に弥生人の技術、稲作技術を取り入れていったに過ぎないのではないかと思う。

顔かたちは弥生人になってしまった日本人だが、気質や文化は、縄文人の流れではなかろうか?

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です