12月としてはちょっと異常な寒波が日本を襲った。
こう言うのが来ると山は荒れる。結果、越後駒ヶ岳で3人、武尊岳で2人、仙丈ヶ岳で2人が遭難と報じられた。越後駒ヶ岳の3人は自力で脱出し、武尊岳の2人はヘリ救出されたが、仙丈ヶ岳の兄弟二人は亡くなられた。
仙丈ヶ岳の兄弟は、弟(47歳)が稜線上でザックを担いだまま倒れていて、そこから約100下で滑落したらしい兄(53歳)が死んでいた、と報じられている。
もし、この二人が別々の単独行者の2名だったら、稜線上の一人はきっと助かっただろうなと推測される。2名というパーティ登山の悲劇だったのでは?と感じた。
理由は、こうだ。
吹雪く稜線を兄弟が歩いている。風でバランスを崩した兄が滑落した。自力では動けぬ兄はそこで亡くなった。残った弟は、下に向かって必死に呼びかけるが応答はない。さりとて救助に降りれるような傾斜ではない。何とか這い上がってきてくれと念じながら声をかけ続けるが視界が悪くて兄の姿は見えない。
救助を求めに下山しようかと思うが、自分がそこを離れると兄の居場所が分からなくなる。この登山道をきっと誰か通るだろう、その人に救助を要請しよう。自分はここを離れてはいけない。兄の居場所を知らせるために、自分はここに留まろう。
この吹雪の中で立っているのはつらい、テントをツエルト代わりに被って風から身を守りたいが、テントは、滑落した兄のザックの中だ。自分は防風の役に立つようなものは持っていない。ヤッケの風防だけが頼りだ。重いがザックを担いでいる方が風よけにはなる。
その格好で歩いていれば、暖かくても、吹雪の中で立ち止まっていれば急激に体温は奪われ始める。兄が這い上がってきてくれるのを念じつつ、自らも意識朦朧とし凍死していったのではないだろうか・・・
冒頭で書いたように、この弟が、単独行者のようにテントも火器も一式担いでいたら同じ場所に留まっていても助かったと思う。
それとも、テントなどは下に置いての軽装のアタック装備での行動中だったのだろうか?そして、ツエルトは兄のザックの中だったのだろうか?
パーティ登山でも、ツエルトは個人装備として全員が持って行くべきということのようだ。すくな事もこの場合でもレスキューシートがあればかなり違ったと思う。
それにしても、遭難場所が6合目付近ということは、小仙丈の手前あたりだろうか?もしそうだとしたら、長衛荘へ救助を求めに下るべきだったように感じるが・・・