漢字 はツライ part2

先日、インドネシアと関係する仕事をする人と会った。

そこで言葉(言語?)の話題になった。

昔、英語や第二外国語を習った時には、名詞に単数や複数があるとか、男性名詞や女性名詞があるとかややこしい言語だと思ったという話題になった。

確かに日本語には単数・複数で変化することはないが日本語はモノを数える場合には「単位」がいる。

それもモノによって「単位名」が変わる。

しかも鉛筆の場合、1本=イッポン、2本=ニホン、3本=サンボン と単位の発音が変わる。これは外国の人からすると単数・複数や男性・女性の変化では済まない厄介さだろう、と。

いやインドネシアは日常の言葉ももっとすっきりしているとか。

服を着る。

帽子を着る。

ズボンを着る。

手袋を着る。

だそうだ。

言われてみれば英語でも wear 一つで済むだろう。

ところが日本語では、着る、かぶる、履く、填める、と言葉(動詞)が変わる。

しかもそれぞれ 漢字 が用意されている。

一体日本語にはどれほどの労力が必要なんだろう。

いろいろ微妙な言い回しの違いがある美しい日本語と言われるけれどちょっと考え物だ。

にもかかわらず、この混沌に拍車をかけるかのように今本屋に行くと 大和言葉 の本がたくさん売られている。

いい迷惑だ、と思いつつ面白いからと買っている私がそこにいたりする。

 

ところで、タイトルの「漢字」ではなく「単位」のほうで思うのが、

単位を付けることによって、その 「物」 上の例では 鉛筆 を省略することが日本語には結構多いと思う。「鉛筆2本貸して」を単に「2本貸して」と。

物 の名前の方を言わなくなってしまう。

ピッチャーが3つの目のボールを投げました、と言われるとはなはだ奇異だ。

ピッチャーが第3球を投げました、と、ボールという 物 の名前を言ってはいけないのだ。

 

 

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