京都大学のOBで猟師をしている人が居る。 千松信也 だ。
猟の傍ら運転手のアルバイト(?)をし、色んな所で 講演 をしてるし、本も書いている。そんな本の一冊を読んだことがある。
猟師の世界なんかまったく知らないからかなり面白かった。
「くくり罠」という言葉もその本で覚えた。
猟師として生活しているので 猟 には慣れてきたけれど、殺す ことには慣れない、と言うようなことを言っていた。なんとなくわかる。
その彼が、「獣害」はあるけど、「害獣」は居ない。と言っていた。
この気持ちもなんとなくわかるけどしっくりこない、私には、本多勝一ふうに言えば、
「殺す側の論理」に聞こえた
最近読んだ 田中淳夫 の「獣害列島」では 「獣害」 も 「害獣」 もちゃんと使われている。こちらの方が 素直 に感じる。自らを美化したり免罪したりしない。
「獣害列島」では、獣が何故増えたか、をまず取り上げている。
1.獣が増えたのではない、人が、獣が住む世界へ進出した。
2.猟師が減って狩りをしなくなった。
等、世間でよく言われていることについて 田中淳夫 なりの考えを書いている。
その上で、
3.田中淳夫 の考える理由
を書いている。(この 田中淳夫 の考える理由を具体的に知りたい人は、本「獣害列島」 をお読みください。なるほどね、と感心しますから)
余談になるが・・・丹沢や奥多摩、関東山地など全山植林と思われる山域では、獣が増えた(?獣の被害が増えた)理由は色々あるのだろうけれど、私の様に、林業の手が入らないもっと山奥に50年前から入ってきた者の目には、猟師が減った、理由しか考えられない。以前は、何年かに一回ぐらいしか 熊 を見ることはなかったが、最近は毎年見る。しかも複数回。さらにすぐ近くで。
カモシカは山奥から里山側に降りてきているように感じる。
まあ、獣が増えた話は置いておいて
「獣害」 と 「害獣」に戻ると、
獣害 は、ケモノによる 害 と言う意味だし、
害獣 は、人に害を及ぼす 獣 と言う意味だ。
これが 人 だと
「老害」 という言葉があって、 『 他人に害を及ぼす老人を指す言葉だ。』と説明されている ( お笑い評論家・ラリー遠田 の 「とくダネ!」降板・小倉の弱音で見えた ネット上での老害批判を気にする時代に〈dot.〉 の記事 )
老害、 ふ~ん、行為や内容を指すのではなく、 人 を指す言葉なんだ。少なくとも若い人々には。
今年の年賀状に、我々老人は「存在自身が 害」と書いたけれど、やっぱりその通りなんだ。
大人しくして居よう。
ン? ブログも書かない方が良いのかな?