「旧石器時代の人の知恵」、日本語の本を出版して欲しい

「旧石器時代の人の知恵」安蒜政雄 新日本出版社 を読んだ。
いや、ページをめくった、が正しい表現かも。

縄文時代が1万6000~1万3000年前ぐらいから始まって3000年ぐらい前まで続いた文化で、
その後は言わずと知れた弥生文化へと移っていった。
これは日本の遺跡から見た呼び方(分け方)であって、世界的には、旧石器時代・中石器時代・新石器時代という分け方の中石器時代・新石器時代にまま該当する。
と言うことで中石器・新石器時代より古い旧石器時代とは、縄文時代以前と言うことになる。
その旧石器時代の日本でのお話しが書かれている。
もう少し数字的に書くと、3万5000年前より新しい日本の石器遺跡を解読したお話しだ。
非常に興味深い。が、この著者の安蒜政雄という先生は本当に”文学部”教授なの?と思ってしまうほど文章が下手だ。
執筆作業をしていてこれほど下手なのも珍しいと思う。
文章が間違っているのでは決してない、ただただ読みづらい。
句読点がやたらと多い。(これは私も同じ傾向にあるので注意したい。反面教師だ。)
石器など日常では使うことがないが、礫器、礫核石器、剥片石器、等々の漢字からモノのイメージできない単語が並び、ただでさえ頭に入りにくいのに文章の書き方がさらに理解を遠ざけるひどいものになっている。
例えば、3つの文章にすれば、分かりやすく読み手に印象が与えられるのを作者の頭の中で気持ちが焦って1文にしてしまって実に理解しづらい。
AはXです。BもXです。そうAもBも共にXなのです。とすれば素直に読めるのに、この筆者は決まって、Aは、Bは、そうXなのです。と書く。
「Aは、」とくれば、読者は何なの?と期待するが、そんな答えなど用意されず、全く違う事情の「Bは、」と続けられてAのことが頭から薄れたところで実は共にXなのです、とやられても「えーっと、Aって何だったっけ?」と元に戻って読み直さなければならない。
実に読みにくい。
残念だ。
とっても面白い内容なので、どなたかこの本を「日本語」で出版して下さらんか。

そうだ、この時代の石器作りの名人2名にイチとハナの名を命名した 新日本出版社 森幸子さん、貴女が日本訳を出して下さらんか。
元々、章立ての順番が滅茶苦茶だったのを入れ替えさせたのは貴女でしょ。

カオとツラ

顔を カオ と ツラ とどちらを言われても通じる。

ただ、使い方として ツラ は下品というかヤクザっぽいと言う印象がある。

「ちょっとツラ貸したれや」的な使い方、ちょうど、 僕 と 俺 の様な感じ、これが私の カオ と ツラ のイメージになる。

ところが ツラ は方言で、東北や九州中南部から沖縄で使われているらしい。

(沖縄では チラ らしい。そして ツラ より古い言葉らしい)

カオ は近畿、中四国で使われていて、関東圏にも伝搬している様な説明がなされている。

どいうことか。

もともとは ツラ で日本中全国で使われていた、そう、それが縄文時代。

ところが弥生文化では カオ が使われ、北九州から近畿にその弥生文化が伝わるに従って ツラ ではなくなっていった。当初、その弥生文化に染まらなかった東北や九州南部では 縄文語 の ツラ のまま残った、と目も覚めるような鮮やかな説明が

書籍:縄文語の発見  小泉保   青戸社

に出ていた。

とてつもなく面白い本だった。

まあ、縄文語がどの様な言語で弥生語がどの様な言語か一切触れられていないので不服感は大きいし、分析哲学というような分析○○という私には非常に退屈な手法と思うのだが、比較言語学での列挙は興味ないので読み飛ばしたが、最後の結論、

・弥生時代に弥生語なるものがすべての縄文諸語を一掃しこれと入れ替わったと憶測する必要はない。

・弥生語も縄文語の一変種にすぎない。

・要するに、日本語は縄文文化と共に始まったと考えてよい

には、大いに賛同する。

 

この本、図書館で借りてきた。

定価 2600円 + 消費税 は払わなくても済むし、読み終わったあと書架のスペースも要らない。

本当に図書館は有り難い。

次ぎまた借りたい本は何冊かリストアップしてスマホに入力されている。

ちょうど区切りが良いので、来年一年間で何冊借りるか数えてみよう。

 

日本人は、縄文人か弥生人か

一般に、古くは日本には縄文文化の人々が全国に住んでいて、およそ3000年前に朝鮮半島から稲作文化を持った弥生人が入ってきて次第に取って代わられた、という風に説明されている。

確かに、姿形やDNAからはそれが言えるのだろう。

でも、一つだけ、どうもそれでは納得できないことがある。

稲作文化が朝鮮半島から渡ってきたのは、3000年前、とかなり近い過去だ。

そして、今から1300年ほど前に「古事記」は作られた。漢字で書かれているが、いわゆる日本語で書かれている。

もし、3000年前に朝鮮半島の人が日本に来て、弥生文化を、従って朝鮮の言葉を浸透させたとするなら、その僅か1700年後の古事記も朝鮮の言葉が色濃く残っているはずだ。でも、古事記は今も通じる日本語だ。

おかしい。

と言うことから思うに、元々日本にいた縄文人は、自分たちの文化、すなわち自分たちの言葉の世界を譲ることなく、単に弥生人の技術、稲作技術を取り入れていったに過ぎないのではないかと思う。

顔かたちは弥生人になってしまった日本人だが、気質や文化は、縄文人の流れではなかろうか?

 

 

「人の祖先は同一種」?

ここ1日2日この記事が新聞紙上に出ている。

要は、「グルジアのドマニシ遺跡で見つかった5体の初期ホモ(ヒト科)の頭骨と、約200万年前のアフリカにいた「ホモ・ハビリス」や「ホモ・ルドルフェンシス」は、同じホモ・エレクトスだ」という研究結果を米サイエンス誌に発表した、というもの。

いくつかの新聞に出るのだから大変な報告なのだろうが、これが何を意味するのかよく分からない。

この半年ほど、人=新人=ホモ・サピエンスの地球移動に興味を持って本を読んできたし今も図書館から借りた本を読んでいるが、この20万年ほど前に地球に現れたホモ・サピエンス以前のことなのでよく分からない。

私が読んだ本には、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスも同じ系統の「原人」として説明されている。

さあ、もう少し経ったら分かりやすい説明がされるだろう。

それが楽しみだ。

 

 

人類史が面白い

人類史に何をワクワクするのだろうか?

人=ホモ・サピエンスは、16万年前~20万年前にアフリカに現れ、6万年か10万年前にアフリカを出たとされている。

そして6万年前にはインドに達し、4万5000年前にはオーストラリアへ、4万年前には今の中国へと達し、1万5000年前にアラスカへと渡り、5000年後の1万年前には南アメリカ南端にまで届いている。あるいは、舟でメラネシア、ポリネシア、そして海路で南アメリカに達したのはつい最近の2000年前~1000年前とされ、氷河や海に行く手を遮られながらも極点を除く全地球への旅が完結した。

同じ歴史でも、有史時代の長さの何十倍もかけた人類の旅だった。

でもこれで終わったとは思えない。

宇宙に目を向けると、人類はやっと大気圏を出て月にまで足跡を残しただけで、言うなれば今はまだ、人類が現れてアフリカから出ることが出来ていないのと同じ時期なのだろう。

いずれ太陽圏を出て他の惑星で生きるようになるのだろうが、その時までには、紛争を武力ではなく解決できる知恵を持ったホモ・サピエンスに進化していて欲しい。

そんな気持ちが、人類史を学ぶ面白さになっているような気がする。

 

日本に旧人か原人が居た???

ここ1~2ヶ月は、人類史に興味をもって本などを読んでいる。

人類史すなわち先史時代(文献が残っている歴史時代以前)のお話しで、日本で言えば、私の関心は、縄文時代以前となる。

ここ横浜市にも都筑区に縄文遺跡が多く発掘され、「横浜市歴史博物館」に多くが展示されている。

そこへ行ってきた。館内は人が少なくゆっくり見て回れ、非常に良いところだった。

旧石器や縄文土器がこんなにあるのか、と思うほど多く陳列されていた。

実に興味深い。

ただ残念なのは、原始Ⅰブースの「土の中に埋もれた歴史」の説明板に『日本列島に人間が住みはじめた13~50万年前』という記述があったことだ。

これには2つの誤りがある。

まず一つは、人間=ホモ・サピエンスが現れたのは16万年~20万年前にアフリカに現れ、そのアフリカからシナイ半島またはアラビア半島へ出たのが10万年前または6万年前とされているから、『13~50万年前』に日本はおろかアジアに人間が居る訳がない。

ちなみに、日本で顔立ちや身長が分かる綺麗なかたちで発見されている一番古い人骨は、沖縄の港川人で2万1000年前頃とされている。

ではここで言う 人間 が、ヒト科ヒト属ヒトすなわちホモサピエンスでないとするなら、旧人とか原人とかの亜種になる。当然、日本では旧人や原人の人骨は発見されていない。

ただ、ホモサピエンス以前の石器が発掘されているとされているが、12万年前ぐらいが限界のようだ。

そうすると『13~50万年前』とは何か?と言うことになるが、これは、あの藤村によって捏造された日本の人類史を横浜市歴史博物館ではいまだに来館者に堂々と展示していることになる。

残念!!!